世界は不倫で回ってる? 教科書に載らない偉人の不倫

2018.3.4
黒板の前に開いた教科書と積み上げた教科書と地球儀とペン立て

わたしたちのよく知る世界の偉人たちの中には、不倫をしていた偉人も実は少なくありません。
【英雄色を好む】の言葉もある通り、英雄と呼ばれる人たちは精力絶倫ということもあり、また魅力に溢れ誘惑も多いことから、結果的に不倫ということもあるようです。

歴史に名を残すような偉人たちなのですから、不倫のひとつやふたつ、あっても驚くに値しないかもしれません。偉人の許されざる恋の中でも、有名な不倫を調べてみました。

カエサルとクレオパトラの不倫

カエサル、といってピンとこなくても、ジュリアス・シーザーといえばわかるでしょうか。ジュリアス・シーザーの名前はカエサルの英語読みなのです。「ブルータス、お前もか」の壮絶な死を遂げた、古代ローマの偉人です。

カエサルは軍人として、また政治家としても優れた手腕を発揮し、古代ローマをまとめてローマ帝国の基礎を築いたとされる人物ですが、記述に残っているだけでも結婚3回、愛人8人と、かなりの好色としても知られています。その中でも有名な愛人が美女であり才女のクレオパトラです。

エジプトの政権を追われたクレオパトラは、ローマを掌握したカエサルの力を借りようと画策し、絨毯に身を包ませ、自分自身を供物としてカエサルに献上したとされています。こののち、カエサルとクレオパトラはクレオパトラの弟王を駆逐し、エジプトの支配者となりました。2人の間にカエサリオンという男児もこのころ誕生しています。

その後、カエサルはさらに勢力を広げ、ローマに凱旋した際にはクレオパトラとカエサリオンも伴っていたそうです。しかし、カエサルは独裁を恐れた排除派により、56歳のときに暗殺されました。クレオパトラはその後も、さらにアントニウスの愛人となりましたが、結局自害という結末を迎えます。39歳の若さでした。

マリー・アントワネットのイケナイ恋愛

漫画「ベルサイユのばら」でも有名な不倫ですね。歴史上の不倫の代表格ともいえるかもしれません。漫画の中でのアントワネットとフェルセンとの許されざる恋は誰しも応援したくなったものです。実際、アントワネットとフェルセンの恋は、精神的な結びつきが強かったとされています。

アントワネットは誰もが知る、フランス王朝時代最後の王妃ですが、フェルセンはスエーデンの名門貴族の子息でした。1774年1月、オペラ座の仮面舞踏会の夜に2人は出会います。同じ歳ということもあって、すぐに意気投合しますが、最初フェルセンは不倫に慎重になり、アメリカ遠征軍に入り、距離をとったといいます。

しかし、その間にアントワネットは王太子を出産し、その安堵もありフェルセンと再会したアントワネットはこの恋に積極的になったとされています。その後アントワネットが出産した、後のルイ17世、ルイ・シャルルはフェルセンの子供という見方が有力です。

フランス革命でも、国王一家を救うため手を尽くしたフェルセンですが、手違いや国王一家の危機感のなさでことごとく亡命させることに失敗し、アントワネットは断頭台の露と消えました。帰国してからのフェルセンは民衆を憎むようになり、強圧的な振る舞いをするようになって怒りを買うことになり、最後は民衆によって撲殺されてしまうのです。

月の光に秘めた想い…ドビュッシーの不倫

芸術家の恋愛はすさまじい、というイメージがあります。しかし、このクロード・ドビュッシーほどすさまじい恋愛遍歴を持った芸術家は、それほど多くないのではないでしょうか。

クロード・ドビュッシーは「夜想曲」「2つのアラベスク」などで有名なフランスの作曲家ですが、その恋愛遍歴を列記するだけで、そのすさまじさに誰もが納得することでしょう。

マリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人と不倫関係。1880年から1888年にもおよびます。学生時代にピアニストとして雇われ、その雇い主とその娘とも恋愛をしていたということです。ガブリエル・デュポンと同棲中にテレーゼ・ロジェと浮気し、遂にガブリエルが自殺未遂したなんてことも。これは1889年から1898年のこと。作曲家としてはこのころ「月の光」などを残した時期でした。

さらに1899年にはマリ・ロザリー・テクシエと結婚。同棲相手が自殺未遂をした翌年に、浮気相手でもない別の女性と結婚したのだから驚きです。そして、エンマ・バルダックと交際を始めたことにより、今度はマリ・ロザリー・テクシエが自殺未遂。このことにより、ドビュッシーはいよいよフランスに居場所を失います。

彼は1905年にマリ・ロザリー・テクシエと離婚し、エンマ・バルダックとイギリスへ渡りました。パリへ戻ると、一人娘・クロード=エンマが誕生します。これをきっかけにエンマ・バルダックと再婚し、恋愛遍歴も一応の終結をしました。1908年のことです。今からすればずいぶんな男ですが、これだけ恋愛ができるのですから、かなりのイケメンだったのでしょうね。

モノクロ映画のイメージ。カチンコの奥で演技をする女優

ケネディ大統領とマリリン・モンローの愛

ケネディ大統領のバースデーの式典で、マリリン・モンローが色気たっぷりな「ハッピーバースデー」を歌った映像は有名ですが、実はこの2人、不倫関係にありました。

マリリン・モンローは1962年8月に36歳で自室にて死亡しましたが、いまだにその死は謎に包まれています。2人を紹介したのがマフィアとの関係が深いとされているフランク・シナトラだったことからも、マフィアによる暗殺との見方も強いのです。

ケネディは30人にもおよぶ女優たちとの浮名を流した豪傑だったことから、マリリン・モンローもその他大勢のうちの一人に過ぎませんでした。その関係はケネディが大統領になってからも続き、マリリン・モンローは大統領のペントハウスに頻繁に出入りしていたそうです。

しかし、マリリン・モンローはファーストレディーを夢見ており、実際にケネディの妻ジャクリーンにその意向を伝えたとか。ケネディに愛情をそれほど持っていなかったジャクリーンは、それを承諾していたとも言われています。

しかし、モンローは謎の死を遂げます。彼女の死は、スキャンダルを恐れたケネディの差し金によるものという説も。睡眠薬の過剰摂取により死亡したことから、公式な見解では自殺とされています。

 

世界の歴史に残る不倫事情。アントワネットとフェルセンの関係は、現代からみても美しい不倫だったといえるのではないでしょうか。ドビュッシーの遍歴では、昔は不倫に対して随分とおおらかだったのだと実感させられます。
時代や背景によって不倫の形もその受け取られ方もさまざまですが、歴史を変えてきたのは、実は不倫だったのかもしれませんね。

ECRII編集部 利根川

ECRII編集部 利根川

大学では心理学を専攻、卒業後、某出版社勤務を経て現職。趣味は人間観察。一見、色香豊かな女っぽい容姿にも関わらず、男性・女性に偏らないフラットな物事の見方や男女問題にまつわる過去の取材、手掛けた記事といった膨大なデータから導き出す的確なアドバイスに、男女を問わず周囲からの恋愛相談が耐えない。将来の夢は『猫たちと平穏に暮らす石田ゆり子』になること。

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